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神戸とワルシャワを繋いだ手紙

 ~ドラ・グリンバーグの物語

 

NPO法人ホロコースト教育資料センター代表 石岡史子

 

第二次世界大戦時にヨーロッパから日本まで逃れてきたユダヤ難民たちに、20 年ほど前、話を聞いた。 カナダ、アメリカ、オーストラリアで出会った人たちのなかで、強く印象に残っているのがシドニー在住のド ラ・グリンバーグ。腰にベルトを締めて、背筋がぴんと伸びて、はつらつとした88歳だった。

 

1939 年の夏、ドラは夫オスカーとワルシャワ郊外の別荘にいた。明け方の爆撃音で二人は飛び起きる。 9月1日、ドイツがポーランドに侵攻し、戦争がはじまった。ポーランド軍は、新たな防衛線を築くために、男 たちは東へ向かい部隊と合流せよ、とラジオで呼びかけていた。ドラはリュックサックに荷物を詰めて、夫に 手渡した。別れを告げようとしたそのとき、「私も一緒に行く!」と言い、夫の後を追いかけた。

 

荷馬車に乗り、夜は農家の納屋で仮眠をとり、疲れた体を引きずりながら歩き続けて、9 日目にやっとサ ルヌイという小さな町にたどりつく。材木商の夫の家族がそこに製材所を所有していた。久しぶりにベッドで 眠ることができた。しかし翌朝、9月17日、今度は東からソ連がポーランドに侵入してきた。 ユダヤ人であり、「ブルジョワ」と見なされるドラとオスカーにとって、ナチ・ドイツもソ連も大きな脅威だ。

 

二人は、リトアニアのヴィルナへ向かう。27 歳のドラはこのとき妊娠していた。乳飲み子を抱えて逃げることは できない。早く安心して出産できる場所にたどりつかなくては。親戚をたよってアメリカへ逃げることを考えていたが、なかなかビザを出してもらえなかった。そんなとき、ソ連経由で極東へ向かう逃避ルートの話を聞き、 オスカーは日本通過のビザを手に入れる。

 

1941 年 1 月、シベリア鉄道でソ連を横断し、ウラジオストクから敦賀に向かうころ、ドラは妊娠8ヶ月だっ た。「こんなときに赤ん坊を身ごもっているなんて無茶な!」と、周りから冷たい視線を向けられた。けれどドラは、「苦しい時だからこそ、この命を自由の地で産むんだ」と固く決意していた。荒波に揺られて、船酔いで倒れこむ夫や他の乗客たちを大きなお腹を抱えながら看病した。

 

日本にたどりついたドラは、神戸で無事に息子ロバートを出産した。ヨーロッパの家族に手紙で知らせると、ワルシャワの両親から返事が届いた。

 

「遠い異国の地で、よく出産をのりこえたね。翼があったら飛んでいってお前たちに会いたい。健康な母 親でいなくてはいけないよ。子育てを楽しみなさい。」

 

母は、壁に囲まれたゲットー(強制居住区)の中で、娘のことを案じ、育児を手助けできない辛い気持ちを手紙に綴った。 ヴィルナの姉からも祝福の手紙が届いた。

 

「嬉しくて泣いています。毎日あなたのことを考えていたのよ。心配でたまらなかった。とうとう母親になっ たのね!異国の地であなたのことをきっと太陽のように照らしてくれるはず。どんな服を着せているの? どこ で寝かせているの? (床の上じゃないといいけど) 日本から次はどこへ向かうの?」 「おむつ替えは慣れてきた? どんなときに笑うの? どんな声をあげる? こぶしを口の中に入れている? それとも指しゃぶりをしている? おしゃぶりは与えているの? そうだ、日記をつけなさい。細かく記録してね。ロ バートが日本でどんな風に成長しているのか知りたいから。早くまた手紙を書いてね。ミラより」

 

ドラにとってひとつ年上のミラは最愛の姉だった。甥っ子の誕生を心から喜び、早く会いたいと募る思いが文面からあふれている。 夫の両親と祖母からの手紙もあわせて、18 通の手紙が「神戸区山本通一丁目六」宛に届いた。ナチ・ド イツの属領とされたポーランド総督領とナチ・ドイツ同盟国の日本の間で、1941年7月まで文通が続いた。 7 月14日付けの最後の手紙が届く前に、ドラは夫と神戸を出発し、オーストラリアのシドニーに向かった。

 

2001 年、ドラは子ども、孫、ひ孫に囲まれて幸せに暮らしていた。しかし、家族は皆、ゲットーと収容所で 殺され、手紙に綴られた再会の約束は果たせなかった。98 歳で亡くなるまで、ドラは「思いやる勇気」という 教育プロジェクトに参加して、自らの体験を語り、差別や暴力に立ち向かうことの大切さを子どもたちに伝え 続けた。

 

ドラの足跡をたどりながら、今も命の危険から逃れるために日本の扉をたたいている難民がいること、コロ ナ禍で大きな影響を受けている世界の難民のことも思い起こしたい。どこにあっても新しく生まれる命が祝 福されるように。

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ハンナのかばん
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アンネ・フランク
ホロコースト

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