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ベルリンの壁崩壊30周年

こんにちは、ベルリンからみきです!

今日から12月!ドイツもすっかり冷え込んできましたが、それでもクリスマスのイルミネーションが綺麗で街を歩きたくなる今日この頃です。

さてさて少し時間が経ってしまいましたが、11月9日のことについて書きたいと思います。今年のこの日はドイツの人々にとって特別な日でした。

ーー「30年前の今日、あなたはどこで何をしていましたか?」

テレビで、ラジオで、街中で、この質問が飛び交いました。

1989年11月9日の夜、東西ドイツ分断の象徴であったベルリンの壁が崩壊しました。日本でもよく知られているこの歴史的出来事、私も中学生のときに歴史の教科書の最後の方のページをぱらぱらめくったときにブランデンブルク門の上に立って喜ぶ人々の写真を見て、意味はよくわからなかったけれど強く印象に残っていたのを覚えています。この壁崩壊30周年と、そのきっかけとなった11月4日の東ベルリン市民の大規模な革命運動の日に合わせて、ベルリンでは市主催のイベントが11月4〜10日の一週間にかけて行われました。今回はその様子をお伝えします。

さて、まず最初に目に飛び込んできたのは、ブランデンブルク門前に突如として現れた巨大なアート作品。あるアメリカ人芸術家のプロジェクトにより今年の夏から秋にかけてワークショップやイベント、学校や教会、街中で集められた、願いが書かれた短冊。その総計3万個の短冊が屋根のようにずら〜りとぶら下げられトンネルのようになってました。夜になるとライトアップされ、幻想的な雰囲気に。

かなりインパクトがありました
中に進んでいくと手の届く高さまでになります

イベントは7日間、市内7つの場所で行われました。分断の象徴であったブランデンブルク門や、11月4日の東ベルリン市民の大規模な集会とデモが行われたアレクサンダー広場、その革命運動の拠点となった福音教会、当時の東ドイツ政府の中心的建物があった場所や、市民の監視や検閲をになった国家保安省(シュタージ)の本部跡地、壁のアートで有名なイーストサイドギャラリー、壁崩壊直後に東ベルリン市民が殺到した西ベルリンの繁華街クーダム、これら歴史的現場でさまざまなイベントが開催されました。それぞれの場所にオープンエアー展示があり、その場所で起こった出来事を中心に、当時の東西ドイツについての歴史解説と証言に触れることができました。展示されている当時の写真と自分が今立っている場所が重なり、まさに歴史的現場にいるんだなということを感じて興奮気味になってしまいました。この一週間は連日雨が降り寒かったですが、多くの人が訪れ展示に見入っていました。

オープンエアー展示

さらに特設の建物が設置され、中にはイベントスペースや書籍販売、ちょっとしたカフェや、証言者の音声を聞けるブースなどもあり、外の展示を見ながら冷えきった身体を暖めることもできました。私が入ったときにはちょうど朗読劇が始まる頃だったので少しだけ観ることに。あらすじとしては、ベルリンに住む親子4人の会話で話が進み、東ベルリン時代の話をしようとしない父母とそれを聞き出そうとする息子と娘、そして最後には母の元恋人が国境を超えようとして射殺されたという衝撃の事実が判明し…という展開に、おもしろくて結局最後まで鑑賞。このような劇や映画上映、講演会や座談会、ワークショップやコンサート、分断の時代を過ごした証人によるガイドなど、200を超えるイベントがこの一週間で催されたそうです。

特設のイベント会場。受付を担当する若い女性に当時の様子を話す中高年の人。子どもに何のことかを説明する親。いろいろな声が聞こえてきました。

さらに、建物の壁に当時の映像を映し出す3Dビデオプロジェクトや、タブレットでカメラモードにするとベルリンの壁のある時代をヴァーチャルで追体験できるアプリなど、最新技術を駆使したプロジェクトもありました。

アレクサンダー広場にて、建物に投影されたベルリンの壁崩壊時の歓喜する人々の映像。

また、世界にある壁というテーマで、イスラエル/パレスチナやアメリカ/メキシコ、韓国/北朝鮮の人々が語る映像を流し続ける、鏡に囲まれた部屋も印象的でした。ちなみに朝鮮半島については、冷戦時の米ソ対立による影響で分断された国家の中でいまだに統一を果たせていない唯一の場所としてよくこの文脈で取り上げられます。今回のイベントでも、韓国からのミュージシャンによるライブなどが開かれていました。韓国の人々にとってベルリンの壁崩壊とドイツ統一の歴史はより特別な意味があるのだと想像できます。

世界にある壁

記念祝賀モード最大の盛り上がりを見せたのは、11月9日の夜にブランデンブルク門前の特設ステージで行われたライブショー。大統領をはじめとする各界からの著名人の演説、歌手やオーケストラによるコンサート、終盤には花火が打ち上がりました。私はこの日仕事終わりに会場に行くも、あまりの人の多さに入場規制がされてしまい中に入ることが叶わず…(泣) 遠くから見えた花火だけ楽しみました。

▼こちらからイベントの様子のビデオが観られます。

https://mauerfall30.berlin/festivalwoche-in-bildern/

さて、このように盛大な祝賀ムードに包まれたベルリンでしたが、ただ手放しで喜んではいられないのも事実です。統一後のドイツは、東西の経済格差や失業問題に始まり、さらに難民・移民の増加と、それによって特に旧東ドイツ地域で目立つ極右勢力の伸張など、さまざまな問題を抱えています。最近の調査では、中高年層を中心に、「東ドイツ時代のほうが良かった」という人が少なくないという結果もあり、東ドイツ時代を懐かしむ「オスタルギー」という言葉がよく聞かれます。(ドイツ語で「東」をあらわす「オスト(Ost)」と「郷愁」をあらわす「ノスタルギー(Nostalgie)」の合成語。)

そういえば、ベルリンでドイツ語学校に通っていたとき、クラスの先生が東ベルリンで生まれ育った人で、18歳のときに壁が崩壊したという話をしてくれました。当時大学生だった先生は、生まれて初めて西ベルリンの地に足を踏み入れたとき、目に飛び込んでくる膨大な数の広告やあまりの製品の種類の多さに、こんなに必要ないと居心地の悪さを感じ、また当時は国境がいつまた閉鎖されるかもわからないのですぐに東側に戻ったそうです。興奮気味に話す先生からその時の緊張感がよく伝わってきました。先生は、子どもの頃に読んだ東ドイツのコミックなどを授業に持ってきてくれその時の思い出なども話してくれました。先生は、当時の東ベルリン市民のデモは決して統一を願ってのものではなく、東ドイツのより良い社会主義体制を望むものだったということを強調していました。その先生からはまさに「オスタルギー」を感じました。

こうした旧東ドイツ市民の感情に敏感に反応するドイツ政府は「統一は良かった」というメッセージを社会に発信しようと、「東ドイツは人権のない独裁国家で、統一は民主主義と自由を人々が勝ち取った証だ」ということを特に強調しているのかなと、この一連のイベントから感じました。

ところで、人々の記憶に刻み込まれた11月9日ですが、実はこの日はドイツの祝日ではないんです。ドイツ統一記念日として祝日に制定されているのは10月3日。これは壁が崩壊した翌年の1990年、ドイツ統一の公式文書が署名された日です。しかし、多くの市民により鮮明な記憶を残している瞬間はあきらかに1989年11月9日。この日を祝日にすべきだという意見も最初はあったそうなのですが、この日を公式には祝えない理由がドイツの歴史のなかにあるのです。それはホロコーストに関係があります。

ナチ時代の1938年11月9日から10日にかけての深夜、ドイツ・オーストリア中のシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)が一斉放火にあい、ユダヤ人商店や住居が破壊され、多くのユダヤ人が犠牲となり、また収容所に連行されました。「帝国水晶の夜」とも呼ばれるこの事件を機に、ナチスのユダヤ人排斥は急展開をみせることになります。つまり11月9日は、ホロコーストで犠牲になったユダヤ人を追悼する日でもあるのです。華やかな壁崩壊30周年記念イベントが行われている街で、ふと足元に目を向けると、ホロコースト犠牲者を記憶する「つまずきの石」に蝋燭が灯されていました。

ピントのずれすみません(友人が撮った写真です)

さらに時代をさかのぼると、1923年11月8日から9日は、まだ一小政党にすぎなかった頃のナチ党によるクーデター未遂事件(ミュンヘン一揆)が起きた日でもあります。後に政権をとったヒトラーは、このときに犠牲となったナチ党員たちを英雄だとして讃え、この日を記念日に制定しました。したがって11月9日はナチスにとっても記念・追悼すべき日だったということです。

さらにさらにさかのぼること1918年11月9日には、ドイツ革命によって皇帝が退位し、共和国宣言が出されました。つまりドイツの共和制の始まりという歴史的な日でもあったのです。

このようにさまざまな歴史が重なり合うこの"11月9日"という日付は、ドイツでしばしば「運命の日」と呼ばれています。この日に行われた追悼記念式典でも、メルケル首相はこの言葉を使い、そしてこう述べました。

「自由、民主主義、平等、法治主義、人権といった欧州の基礎となっている価値は自明のものではありません。時を経て何度も改めて命を吹き込み、守らなければならないものです。」

メルケル首相のこの言葉を体現するかのように、ドイツでは少しでも自由や人権が侵されると、人々はすぐ路上に出て声を上げます。デモやストライキは日常茶飯事。そのたびに公共交通機関が運休したり交通規制がされたり不便を感じることはあるものの、誰かから文句を聞くことはほとんどありません。それは、30年前に人々が声を上げたことで最終的に壁を打ち壊すことができた、という正の記憶、そしてまた、人々が沈黙していた時代に何が引き起こされてしまったのか、という負の記憶も共有されているからなのだと思います。

さて、ひるがえって日本では過去の記憶から何かを学ぶことができているでしょうか…。

【ベルリンの壁崩壊30周記念イベントの公式サイト】

https://mauerfall30.berlin/

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